仏像
薬師如来立像(平安時代前期)
この仏像は、33年目毎に開扉される秘仏であって、現在薬師堂の厨子内の本尊の前立仏となっている薬師坐像の胎内仏であったともいわれる。
美術史の専門家西村公朝氏の言によれば、その肥満した躰躯の下半身にY字形の衣文を刻み、彫の深さ、眼光の輝き、神秘感から見て、京都高尾の神護寺の仏像に酷似した形式(弘仁様式)であり、今からおよそ1200年前に作られたものといわれている。
薬師如来坐像(平安時代後期)
現在は秘仏として厨子に納められている薬師如来立像の前立仏として安置されているが、厨子内の立像を胎内仏として納められていたと伝えられている。
像高104センチ、寄木造、彩色(現在剥落)の地方的作風の濃い檜材による像である。
像造の構造手法では、藤原中期の様式を取り入れているが、画相、体部の肉付き、及び衣文等には藤原末期の手法が多分にあり、おそらく、製作時期としては12世紀のものと思われる。
仏涅槃図
釈迦の入滅を説話的に描いたもので、沙羅双樹の下に永遠の涅槃に排卵として宝台に横たわる釈迦を取り巻いて、菩薩、天部、仏弟子、在家の人々などが見守り慟哭している。天空の一方からは生母摩耶婦人が急を聞いて馳せ参じるという説話的な構成である。
この涅槃図には、釈迦や菩薩の衣文などに切金の手法がみられ、室町時代の優品である。
横148×縦190センチ
釈迦十六善神図
般若十六善神像ともいう。般若教とそれを誦持する人々を守る十六の夜叉神像を描いたもので、釈迦如来を中央に、左右に普賢と文殊、十六夜叉神像を分列的に両側に配置する。
横56.5×縦131センチ
十六羅漢
羅漢とはサンクリットで尊敬を受けるに値するという意味で、仏弟子である。すなわち釈迦の教えを受けて修行を経て最高の叡知に達し、仏法を護持し大衆に広める尊者である。
天眼筆 1803年(享和3年) 横52×縦122センチ